私/satomi (2) 2006.2.14
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satomi
少しづつ自分のことを書かせてもらおうかな、と思いつつ、いろいろな話題があって・・久しぶりに、私/satomiということで。
私は女性学を学ぶのと並行をして、「書くこと」をずっとしてきました。
仕事だったり、ボランティアだったり、自身の意見の投書であったり、何らかのコンテストなどへの投稿であったり、とにかくずっと書いていました。
「何が出来るの?」と聞かれたら、「書くこと」と答えるしか他にはなにもありません。
私/satomi (2)小さな頃から、ホントに「書くこと」は好きで得意でした。読書感想文や作文などが入賞するように書くことなど簡単だったし、それぞれの先生によって気に入るだろう文章を書くこともできました。入試も入社試験も「小論文」のあるところを選んだくらいです。4000字でまとめるとか、1000字を500字にしてとか、その逆とか、そんな程度ならあまり考え込むことなくできるし、インタビュー記事とかお店紹介の記事などは、聞いて即まとめることなどけっこう得意です。なんていうと、自慢しーですが・・・・。自慢できることはそれ以外何もないので、お許し下さい。(笑)でも苦手はそれ以上に自慢できるほどあります。とにもかくにも「絵」。観察力がない、よく見ていないと先生にはあっさり言われ、まったく相手にしてもらえませんでした。画用紙の真中に線を引くとか平行な2本の線とか、その程度でもまったく駄目です。ましてデッサンや絵の具などもってのほかです。イラストなどをノートの端にさっと描いたり、先生のデフォルメした似顔絵を描いては喜んでいる人は私には驚愕の人でした。私の描く犬は猫、木は草、車は電車の見えるとか。船は何に見えるのでしょうか?ホントに苦手です。工作も苦手。夏休みは父親頼みでした。工作での私の自慢話は小学校の6年間、粘土の提出作品をアシカ(アザラシ?)で乗り越えた(?)ことです。アシカ(アザラシ?)本体の格好はまったく変えることなく、台にのせるとか、ボールを鼻にのせているとか、拍手をしているところとか、せこい小細工をしながら、乗り切りました。慣れてきた5、6年生の頃のアシカ(アザラシ?)はなかなかだったと思いますよ。「書く」創作と、「描く」「創る」創作は、私にはまったく違うもののようです。
私は女性学を学ぶのと並行をして、「書くこと」をずっとしてきました。
仕事だったり、ボランティアだったり、自身の意見の投書であったり、何らかのコンテストなどへの投稿であったり、とにかくずっと書いていました。
「何が出来るの?」と聞かれたら、「書くこと」と答えるしか他にはなにもありません。
私/satomi (2)小さな頃から、ホントに「書くこと」は好きで得意でした。読書感想文や作文などが入賞するように書くことなど簡単だったし、それぞれの先生によって気に入るだろう文章を書くこともできました。入試も入社試験も「小論文」のあるところを選んだくらいです。4000字でまとめるとか、1000字を500字にしてとか、その逆とか、そんな程度ならあまり考え込むことなくできるし、インタビュー記事とかお店紹介の記事などは、聞いて即まとめることなどけっこう得意です。なんていうと、自慢しーですが・・・・。自慢できることはそれ以外何もないので、お許し下さい。(笑)でも苦手はそれ以上に自慢できるほどあります。とにもかくにも「絵」。観察力がない、よく見ていないと先生にはあっさり言われ、まったく相手にしてもらえませんでした。画用紙の真中に線を引くとか平行な2本の線とか、その程度でもまったく駄目です。ましてデッサンや絵の具などもってのほかです。イラストなどをノートの端にさっと描いたり、先生のデフォルメした似顔絵を描いては喜んでいる人は私には驚愕の人でした。私の描く犬は猫、木は草、車は電車の見えるとか。船は何に見えるのでしょうか?ホントに苦手です。工作も苦手。夏休みは父親頼みでした。工作での私の自慢話は小学校の6年間、粘土の提出作品をアシカ(アザラシ?)で乗り越えた(?)ことです。アシカ(アザラシ?)本体の格好はまったく変えることなく、台にのせるとか、ボールを鼻にのせているとか、拍手をしているところとか、せこい小細工をしながら、乗り切りました。慣れてきた5、6年生の頃のアシカ(アザラシ?)はなかなかだったと思いますよ。「書く」創作と、「描く」「創る」創作は、私にはまったく違うもののようです。