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離婚相談のリコナビ編集部によるブログ
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2月8日 もう一度 続けます

「ジェンダー」は女性を擁護するかのような言葉に思われがちですが・・・。
「なんでも男女同じなら、更衣室もトイレも同じということか」とピントの外れたことも聞きますが・・・。

これはあくまで、社会的・文化的につくられた性差のことです。

もちろん男性にもあてはまることです。

「男らしく」「男性なら」「夫たるもの」「長男だから」・・・。
まだまだ男性社会ゆえ、ややもすると女性以上にその社会的慣習や価値観に知らない間にしんどい思いをしているのかもしれません。

以前書きましたが、キティちゃんの飴を欲しがった男の子に「あんたは女の子か!」と言ったお母さんや、男の子が産まれない養子となった男性に「種無し」と言った義両親とか。

その一言で一瞬にして固まる男性の気持ちを想像することは容易です。

社会的な問題となっている「自殺」。「うつ病」になる人は女性のほうが多いのですが、「自殺」の7割は男性です(この傾向は世界共通です)。「自殺」を図るとき、より危険な(暴力的)手段をとるのは男性です。電話相談やカウンセリングを利用するのは、圧倒的に女性です。これは男性は弱音を吐いてはいけない、人に弱みや悩みを見せるものではない、潔く、白黒はっきり、責任をとる、といった幼い頃からうえつけられてきた意識が大きく影響しているかもしれません。しんどい、辛いことだと思います。男性もつくられてきたイメージにとらわれることなく、正直に生きていける社会になって欲しいと思います。そう女性と生き合って欲しいと願います。

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続2月8日ですが・・・。

つくられてきた、つくられていくイメージは人のあり方にとても大きな影響力をもちます。
知らない間に、それに自分を近づけようとしていることは、かなり意識をしないと自分自身でも気がつきません。

たとえば、女性問題を考えるとき「ジェンダー」という言葉があります。
「DV」や「セクハラ」などのように、もっともっと社会の中に深く浸透していって欲しい言葉なのですが、なかなかそうならないことが、今ではバッシングを受けることすらあることに、私は女性問題を感じているのですが。

「ジェンダー」とは、社会的・文化的につくられた性差のことです。
生物学的なSEXとは異なります。
まさしく「こうあるべきだ・・・」と、イメージ化され、理想化され、美化され、固定化されてきたものです。
「女性らしく」「男性だから」「母親なら」「妻なら」「夫たるもの」「長男だから」・・・etc。

この社会的・慣習的イメージに長い間「しんどい」思いをしてきた人も多いと思います。

「夫は仕事、妻は家事育児」は日本の高度成長を支えてきた「性別役割分担意識」です。

「母親なら・・・」「妻なら・・・」「嫁なら・・・」と「ケア役割・愛情供給役割」を求め続けた社会的通念、社会的慣習は、女性を「家族を許す」「家族を守る」「家族を認める」「家族を世話する」といった、過剰な他者への責任を負わせてきました。
「ケア役割・愛情供給役割」の評価は、受け取った側の感覚です。100万円といった誰が見てもわかる価値ではありません。受け取った側が「ありがたい」「嬉しい」「助かった」と思ったときに、初めて評価されるもので、供給した側が決められることではありません。
相手次第で「ありがた迷惑」とも「大きなお世話」にも「うざい」「放っといて」にもなります。「ケア役割・愛情供給役割」をする側に、とても不安で不安定で、不確かな感覚を感じさせます。この感覚が続くストレスを感じない女性は少ないのではないでしょうか?

また、「3歳児神話」は小さいうちから保育園に入れるのは可哀想だ。3歳までは母親の手で育てるべきだ、といった、根拠のない考え方。

「母性愛神話」は女性なら誰しもが子どもを可愛いと思い、自分に代えてもと子どもを愛する母親の愛のこと。母性(この言葉自体「そんなものはありません」と言われた先生もおられましたが)は、初めからそなわっているものではありません。子どもを産み、育てていく中で育まれていく、とても経験的な感覚によるものです(もちろん・・・そういった感覚を必ずもつ、とも、また限りませんが)。

性的なイメージも根強いものがあります。「嫌よ、嫌よはいいのうち」「嫌なら抵抗できたはずだ」「妻は夫に従うべきだ」「誘ったら、ついて来た。合意の上だ」「あちらもいい思いをした」「本当は女性は望んでいる」など。
これが認められ、許されていくと「人身売買」「集団強姦」「性的虐待」「強制わいせつ」「セクハラ」へと変わっていきます。

書き出したら、きりはありませんが・・・。


必ず言われます。女性への過剰擁護だ。そう願う女性もいる。役割はある。言い出したら社会崩壊だ。女性のわがままだ・・・と。言われることに、慣れてはいますが。それで苦しんでいる女性はたくさんいます。自分でもなぜなのかは気がつかず、苦しんでいます。そうあらねばならないと、そうありたいと、そうでなくてはならないと、と自分だけを責めて、頑張ってきた女性は数知れないはずです。そうではないと、自分が認められない、受け入れられない、自分自身を許せない、といった感覚はとてもしんどいはずです。「今まで、私は完璧に家事をしてきました」と言った女性がいます。「誰が完璧にやってください。と頼みましたか?」に彼女は答えられませんでした。かつては家長として力をもち、家族を従え、強く振舞ってきた男性。妻はそんな夫に従い、支え、子どもを育て、文句も言わず家を守ってきました。高齢になり、男性は弱り、なにひとつ身のまわりのことができなくなりました。妻を「○○ちゃん」と呼び、頼るようになりました。「昔は触らせてもくれなかったのよ。でも今はおじいちゃんは何もできないから」と自らも病気をもった身体にもかかわらず、印鑑や書類をもち、家周りの修理や財産の整理をする妻。ケアからケアへ・・・。知らない間にそのイメージに近づいていこうと無理をしていた自分に気がついたとき、私は今まで何をしてきたのだろう、と考え始めたとき、それが自分が本当に望んでいたことではなかったことに気がついたとき、また違う虚脱感や無力感に襲われるかも知れません。でも、それは「新しい自分のイメージ」をつくり始めるスタートです。自分でスタートラインの線を引いて、自分で合図を放ち、自分でゴールを決め・・・。歩き出せたらいいですね。

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孫育て・・・でもホントは・・・夫かも

2月6日、NHK「クローズアップ現代」で「孫育てはつらいよ」が放送されていました。

女性の社会進出にともなって、必要な保育環境がおいつかないのは、現実的な話。
仕事をもち、働き続ける親のかわりとなって、中心となって育児をする、おばあちゃん、おじいちゃんの姿(現実)がとり上げられていました。

「子育て」ならぬ「孫育て」です。


親世代に「子育て」を任せる理由が、保育環境の整備が整わないからなのか、それとも、自分の親ゆえの依存なのかはわかりませんが・・・孫を宝のように、愛おしく、可愛らしく思い「孫育て」に奮闘する姿に心から感心をしながらも、一方で、神経をつかい、疲労する、その大変さに、思わず「気の毒に」と思ったのも、また事実です。

すっかり変わってしまった「育児の常識」を「育孫本」や「孫育て講習会」などで再度学ぶ様子や、自分の仕事をなげうってまで「孫育て」をする姿にいたっては、親世代の暮らしや生き方そのものにまでを変えてしまっていることに、預ける世代と近い世代の私は、感じなくてもいい、罪悪感まで感じてしまうほど。

娘夫婦の部屋に朝早くから通い、その家族の朝食をつくり、孫を送り出し、夕刻には洗濯物を取り込み・・・思わず、家政婦?と思ってしまったのは、私だけではないはず・・・。

私のまわりにもそんな様子は結構見られました。

給料前お金がなくなってくると、親の家に通い食事をする。
子どもの服は親の支払い。
毎月何度も送られてくる日用雑貨やお菓子、衣料品などの荷物。それには封筒に入ったお金がしのばせてあり。
子どもの病院には必ず親がアッシーくん。
子どもが熱を出したときには、すぐに親にSOS。親の都合がつかないとき「私は子どものためならなんでもしてあげたい。自分の子どもが困っているのに、どうして助けてくれないの」と言ったのを聞いたときには、ただあ然。


でも、それらは過ぎた依存の場合もあるかもしれませんが、子どものいる女性が働き続けるには、無理のきく、頼れる存在は、親以外にないことも、現実なのだろうとは思います。


なぜ、親はその依存を受け入れるのか・・・これまた介護環境の整備が整わない現実の社会に、老後の介護を頼れるのは、子どもだけという、見返りを期待してのこと、とも。

この生活がうまくいくばかりとは限らないようで、育児の方法やしつけなどで意見の食い違いが生じたり、子ども世代の「感謝しない態度」や、親の「見てやってる」の態度などで、親子間のトラブルも多いとか。
切ないですね。


そしてこの話題の中に、義理の母親の作る朝食を食べる「夫」はやっぱりまったく不在・・・。最も労働時間の長い30代の夫達・・・。「子育て」や「家庭環境」に割ける時間は極わずかなのか?妻に任せておいた方がうまくいくのか?はたまた・・・避けているのか?何もしない方が・・・トラブルは少ないのか?これ以上、トラブルに巻き込まれたくないのか?番組に出演したコメンテーターは「女性だけではなく、男性の働き方も考えいかなければ、この状況は変わらない」と言っていましたが(このコメントも、耳にたこができるくらい聞いてきましたよね。まだまだ男性は昼夜働き続け。変わらず女性は子育て、家事と仕事の両立にへとへとです)。でも、私はいつも思います。「仕事」と「子育て」「家庭環境」のどちらかを選べる状況にあったら、夫は迷わず・・・どちらを選ぶでしょうね・・・。夫は「子育て」「家庭環境」を喜んで半分引き受けるでしょうか?「子育て」と「家庭環境」を整えることは、誰にとっても、とても大変です。

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憧れますが・・・そうじゃない私で生きてます

脱コンプレックス。
少し声のコンプレックスがなくなったと思いきや・・・

コンプレックスは尽きることがありません。

「働いているっていう、手をしていますね」。

ある女性に頼まれてPCを教えてあげているときでした。
悪気はない・・・けど・・・きつい一言。
「私の手はぽちゃぽちゃして赤ちゃんのような手で、何もしていないみたいで、恥ずかしい」と。

いえいえ、可愛らしい手です。

私は手がごつい。ごついって、わかります?
指が太くて、短くて、節がごつごつしていて、マニキュアなどとても濡れない短い爪、手のひらはでかくて、ぶ厚い、指先は割れ、いつもかさかさしていて潤いがない・・・。

つまり、人前に出すような手ではないのです。
彼女の言ったとおり、労働者の手です(と、言っても、本当の労働者の方たちのように重労働をしているわけでもないところが、余計に情けない)。

薄いピンクのマニキュアをつけた綺麗な爪、長く、細い、華奢な指で、カシャカシャと打つキーボード。

私の手フェチの理由は自分の手に対するコンプレックス。

憧れます。美しい手。

キーボードを説明しながら、打って見せながら、一生懸命教えていたつもりでしたが、彼女の目はそこを見ていたか、と思うと、ちょっと哀しかったですが、まぁ、事実ですから。

憧れますが・・・そうじゃない私で生きてます。
ってところでしょうか。
恋愛をかいた歌の詩は大好きです。繊細な、その音がもつ響き、感情的な、どきっとするような、可愛らしい、切ない、ストレートで・・・音符にのる言葉の魅力にひきこまれます。でも、細い肩折れそうな指綺麗な手抱きしめると消えてしまう意外に着痩せする君を包みこむ小さな手長い髪 etc・・・。やっぱり、男性が好む女性のイメージは、こうですかね。そうじゃない女性にはけっこうきつい一言だと思うのですが。いかがですか?だから、私は握手も手をからめることも、嫌いです。でも、誰かがつくったイメージに自分を合わせようとすることはやめましょう。それを理想とするのはやめましょう。所詮無理が生じます(笑)。自分がつくった、オリジナルなイメージを理想にして、無理せず、肩の力を抜いて、「まんま」なままでいきましょうか。憧れますが・・・そうじゃない私で生きてます。ってことで。

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私/satomi(23)

突然ですが。

私は咽喉がとても弱いです。
風邪のひき始めは「咽喉から・・・」ではなくて、扁桃腺から。
小さい頃からの経験で、咽喉の痛さの程度で、熱が出るか出ないか、ちょっと危ないか、なんとかもちこたえられそうか、判断できます。

今も少し風邪気味。
咽喉が痛み、少し咳き込むけれど、多分この痛さの程度では、熱は出ないし、ちょっと薬を飲めば、治るだろうと感じています。

煙草の煙にもいつも悩まされています。
近くですわれると、咽喉はいがいが・・・痛みます。


加えて、声帯もとても弱く、これまでに2度声帯にポリープができて、手術をしています。
ポリープは痛みもなく、悪性に変わることもなく、声を使う職業ではない限り、全身麻酔だし、多少なら我慢したら?とか医者にも言われたのですが。でも声が出にくくなることは、とても辛いものです。思ったこと、即答したいことが、ぱっと声にならないのは結構ストレスです。
思い切って手術するも、その後の10日間の絶声も、かなりきついものがあります。
「大丈夫ですか?」の看護師さんに「はい!」と言って。「しー」と叱られて。だったら、声などかけないでよ。と、思うのですが。この間の書いてのコミュニケーションは、大変ですが、なかなか面白いものです。書くと、どうしても冷静になってしまうというのか、一拍おくというのか、まわりから少し遅れた、必死の乱雑な字でのコミュニケーションは結構愉快です。


そのせいか、私の声はとてもハスキー。低音というより、枯れた(?)感じ・・・。湿り気(?)がない・・・。
だから私は自分の声が大嫌い。小さい頃は特に。音楽の授業での歌のテストは本当に嫌だった覚えがあります。高音がでなくて、ハスキーで。ソプラノなんて夢の夢。いつもアルトでハモってました。バスケットもそれに輪をかけたかもしれません。1年生、後輩の頃は、大声での掛け声が仕事みたいなもの。「声出して!」につられ、大声を出し続けたのもいけませんでした。
だからカラオケも嫌い。人前でひとりで歌うなんて、とんでもありません。

そう、声は私のコンプレックス。
大きいおしりより、短くて、太い足よりも。

ところがです。あるとき、友人の女性に「私、satomiさんの声がとっても好きで」。と、驚くべきことを言われたのです。つい「へっ?」って。「落ち着いた感じで、話していると、安心するというのか・・・」と。驚きました。そのようなことを言ってもらったのは初めてでした。嬉しかったです。その後、どういうわけか「あなたの声が好き」と言われることが続き、電話で「あっ、satomiさん?声ですぐわかったよ。元気そう」だとか、「声優さんとかすればいいのに、個性的」とか・・・。なんだかお褒めの言葉をたくさんいただいて・・・。単純なもので。それから、なんとなく「まぁ。この声でいいじゃん!」みたいな。「悪くないよね」みたいな。少し、脱コンプレックスです。褒められるって、いいですね。「いいね」って言われると、とても嬉しいですね。お互いにそんなことを言い合えたら、みんながぐんぐんと、いい方向へと伸びていくのでしょうね。誰かのいいところ。素敵なところ。見つけたら、声に出して、褒めちゃいましょう!

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