立てこもり発砲事件
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愛知県の長久手町で起きた立てこもり事件。
機動隊の23歳というひとりの若い命が失われました。残された妻は24歳、10ヶ月の女の子がいたとか。その残された家族の気持ちなどとても察することなどできないものです。
事件を聞いた当初から、なんとなく感じていました。
やはりDV・・・。
人質となっていた妻は、1年半前に家を出て、DVの被害者を保護する施設「シェルター」で暮らしていたようです。
妻は夫の暴力に耐えかねて、警察署に駆け込み、そのまま一時保護されていたとの報道でした。夫はそのシェルターにもきて、大声を出すなど、警察を呼ぶ騒ぎにもなってたとか。
警察やその保護施設のスタッフの恐怖を感じる中での身体をはった対応があったのではないかと、容易に想像できます。
離婚調停も始まり、DV防止法に基づいて、妻への接近を6ヶ月間禁じる保護命令も名古屋地裁から出されていたようです。
離婚は昨年成立、妻はシェルターで暮らしながら、パートなどの仕事を始めてもいたようです。
事件当日は仕事の休日で出かけた妻が約束の5時になってももどらなかったので、スタッフが心配をしていた、その矢先の事件だったようです。
妻と元夫との復縁の話に家族が集まったとのことで、
そこで子どもたちの復縁を望まない態度に激昂しての事件だったようです。
・・・なぜ妻は・・・シェルターに安全に保護してもらっていた妻はなぜ・・・その場に行ったのか。
そのあたりの詳しい報道がなく、安易に想像することはできませんが、
それがDVなのかもしれません。
長い間の暴力、恐怖、無気力、慢性的倦怠感、あきらめ、うつ的状態・・・DVの被害者は考える気力や決断をする力などを奪われます。「お前が悪い」「お前が俺を怒らせた」と人格までも否定され続けると、自分を信じる、自分を肯定する力を失っていきます。その「感覚」や「生き方」は容易に忘れられる、自分の身体から中から抜けていくものではなく、せっかくの再出発の後にも心に大きな後遺症を残します。それは長い間、被害者を苦しめることになります。被害者は何年も何年もかかって、引き戻されたり、進んだり、一進一退をしながら、懸命に必死になんども傷つきながら生きていかなければなりません。そして、そのことを、被害者はそのような状況に陥っているということを、社会にはなかなか理解をしてもらうことはできません。「早く忘れて」「せっかく再出発したのだから」「いつまでもこだわっていては」「頑張って」・・・被害者にはかえって辛い言葉かもしれません。なぜ、妻はそんな危ない場所に行ったのか・・・。妻に問う、妻を責める、その前に考えなければならないことは、たくさんあると思います。事件では妻は自分でトイレの窓から脱出をします。その気力は多分、安全なシェルターの中で、社会の中で仕事をして生きていく日常の中で、妻自身が積み重ねていった力だったのではないでしょうか。妻の脱出で、元夫は気弱になったとか・・・「突入をしないでくれ」と警察になんどか電話をしてきたとのこと・・・。DVを加害者側、被害者側、双方から考えた事件でした
機動隊の23歳というひとりの若い命が失われました。残された妻は24歳、10ヶ月の女の子がいたとか。その残された家族の気持ちなどとても察することなどできないものです。
事件を聞いた当初から、なんとなく感じていました。
やはりDV・・・。
人質となっていた妻は、1年半前に家を出て、DVの被害者を保護する施設「シェルター」で暮らしていたようです。
妻は夫の暴力に耐えかねて、警察署に駆け込み、そのまま一時保護されていたとの報道でした。夫はそのシェルターにもきて、大声を出すなど、警察を呼ぶ騒ぎにもなってたとか。
警察やその保護施設のスタッフの恐怖を感じる中での身体をはった対応があったのではないかと、容易に想像できます。
離婚調停も始まり、DV防止法に基づいて、妻への接近を6ヶ月間禁じる保護命令も名古屋地裁から出されていたようです。
離婚は昨年成立、妻はシェルターで暮らしながら、パートなどの仕事を始めてもいたようです。
事件当日は仕事の休日で出かけた妻が約束の5時になってももどらなかったので、スタッフが心配をしていた、その矢先の事件だったようです。
妻と元夫との復縁の話に家族が集まったとのことで、
そこで子どもたちの復縁を望まない態度に激昂しての事件だったようです。
・・・なぜ妻は・・・シェルターに安全に保護してもらっていた妻はなぜ・・・その場に行ったのか。
そのあたりの詳しい報道がなく、安易に想像することはできませんが、
それがDVなのかもしれません。
長い間の暴力、恐怖、無気力、慢性的倦怠感、あきらめ、うつ的状態・・・DVの被害者は考える気力や決断をする力などを奪われます。「お前が悪い」「お前が俺を怒らせた」と人格までも否定され続けると、自分を信じる、自分を肯定する力を失っていきます。その「感覚」や「生き方」は容易に忘れられる、自分の身体から中から抜けていくものではなく、せっかくの再出発の後にも心に大きな後遺症を残します。それは長い間、被害者を苦しめることになります。被害者は何年も何年もかかって、引き戻されたり、進んだり、一進一退をしながら、懸命に必死になんども傷つきながら生きていかなければなりません。そして、そのことを、被害者はそのような状況に陥っているということを、社会にはなかなか理解をしてもらうことはできません。「早く忘れて」「せっかく再出発したのだから」「いつまでもこだわっていては」「頑張って」・・・被害者にはかえって辛い言葉かもしれません。なぜ、妻はそんな危ない場所に行ったのか・・・。妻に問う、妻を責める、その前に考えなければならないことは、たくさんあると思います。事件では妻は自分でトイレの窓から脱出をします。その気力は多分、安全なシェルターの中で、社会の中で仕事をして生きていく日常の中で、妻自身が積み重ねていった力だったのではないでしょうか。妻の脱出で、元夫は気弱になったとか・・・「突入をしないでくれ」と警察になんどか電話をしてきたとのこと・・・。DVを加害者側、被害者側、双方から考えた事件でした